コロナ禍に思う、あの頃のこと

政府の緊急事態宣言解除から4か月。いまだ収まる気配のない新型コロナウイルスに頭を抱える政府、自治体、企業。さまざまな懸念とは対照的に、東京の街は以前と変わらぬ活気を取り戻したかのようにもみえる。数か月まえに初めて聞いた「コロナ禍」ということばの響きにも、もう新しさは感じられない。

日本人は環境に順応することに慣れているからなのか、「新しい生活様式」を受けいれるのにも、ほとんど抵抗がなかったようにおもう。ただ、慣れることがいいことなのかどうかはわからない。

コロナが暮らしに溶けこんでいくようすを眺めつつ、ふと思いだしたのは、あの日、あの頃のこと。

東日本大震災、福島第一原子力発電所爆発事故から、もうすぐ10年。なにか大事なことを忘れかけているような気がするのだけれど、それが何なのか、はっきりと思いだせないでいる。

地震、放射能、電力危機、大規模な計画停電、麻痺した交通網と物流 … 。当時、日本中が暗い空気に包まれていた。「これからこの国はどうなってしまうんだろう」という不安は、だれかひとりのものではなかった。

原発事故直後、政府は首都圏でさえ人が住めなくなる可能性を想定していたという。放射能から逃れるために西日本や外国へ移住したひとたちもいた。そうしたひとたちは、いまどこに住み、どんな思いでこの10年を振りかえっているのだろう。心が帰る場所をなくしてしまったひとたちの悲しみは癒されないままだろうか。

あの頃、ただ蝋燭の灯をみつめるように、この国の未来のゆくえをじっとみつていたような。それまであたりまえと思ってきたことがあたりまえでなくなり、そのことに「何か」を感じていたような。そんなぼんやりとした記憶が、あの頃の景色とともによみがえる。

辛い記憶や大切なことが、すこしずつ上書きされていくように、ひとびとの記憶から消え去っていく。それが幸せなこともあれば、不幸せなこともあるのだろう。どちらともわからないまま、ぼくらはさまざまなことを忘却のかなたへと追いやり、今日という日常を生きている。