祖父が守った釜

だいぶ前に田舎の家の納屋を整理していたら、ほこりをかぶった古い品々の中から、銅でできた立派な飯炊き釜がでてきた。

それは料理屋などでときどき見る、ふつうの飯炊き釜のかたちをしていた。

その家のことは何でも知っていた叔母に話を聞いてみると、釜は祖父の代から使われていたということだった。

わたしはその釜を叔母から譲受け、以来、飯を炊くときに使っている。あとで叔母から聞いて知ったのだけれど、わたしが譲り受けた釜には、ちょっとした歴史があった。

かつてこの国には、お寺の鐘や家々の金銀銅が国から没収された時代があった。それは「供出」とよばれる制度で、集めた鉄は大砲の弾などを作るのに使われた。

わたしが田舎の家の納屋でみつけたその釜も、国に没収され、戦争の道具になるはずだった。

ところが、祖父はこれがなくては困ると言い、代わりに金をわたして釜の供出をまぬがれたそうだ。

叔母から聞いた祖父のはなしには、こんなはなしもあった。

戦争が終わると、祖父は田舎に引きあげてきた復員兵たちの仮の居場所を確保するために、土地の大地主に協力するよう直談判したそうだ。

要求が受け入れられるまではここを一歩も動かない、と言ってはばからず、その場に座り込んでしまったというのだから、はじめて聞いたときは江戸時代のはなしかと思った。

祖父は、わたしが物心つくまえに亡くなっているので、わたし自身はまったく記憶がない。大工をしていて、相当な頑固者だったらしいが、娘たちにとってはやさしい父親だったようだ。

祖父は昔気質(むかしかたぎ)で、雨の日はお金をもらうのが悪いからといって、大工の仕事を休んでしまうようなひとだったと聞いている。

かとおもえば、競輪に熱をあげて地元の競輪場によく通っていたとか、養命酒を飲んだだけで酔っ払っていたなんていうはなしもあるから、ちょっとおかしみのあるところもあったらしい。

もし、祖父がいまも生きていたら、酒を酌み交わしながらどんなはなしをしているだろうか…などと想像するのはたのしい。

数年前に介護施設に入居した叔母が、わたしが祖父のことを知るほとんど唯一の手がかりだったのだが、叔母は施設に行ってしまうと、とたんに未来志向になり、祖父のはなしを自分からすることがなくなってしまった。

わたしは毎年八月のお盆のころになると、叔母や母から聞いた祖父のエピソードを思い出している。これも、わたしが幼い頃に亡くなった祖父への供養と思って。

お盆は亡くなったひとや祖先に思いをはせるのにはちょうどいい機会だ。