「イヤシロチ」と「ケガレチ」

図書館で家づくりの本を読んでいたら、自分のなかに衝撃が走るような気づきがあった。それも、点と点がつながるように、いままで家づくりに関して疑問に思っていたことが、すべて解決してしまうような気づき。

その気づきというのは、住まいの快適さが建物の性能以上に土地に大きく関係しているのではないかというひとつの仮説。

以前からわたしは、住宅というのは、隣家とのつながりやまちの環境など、「外環境」に配慮して建てなければ、十分な快適さは得られないと考えていた。

だけど、土地自体が住まいの快適さを左右するチカラをもっているかもしれない、というのは考えたことがなかった。わたしがすこし本から学んだところによると、土地のチカラというのは、プラスにもマイナスにもはたらく。それが「イヤシロチ」と「ケガレチ」とよばれる考え方だ。

イヤシロチというのは、神社などに代表される、いわゆるパワースポットのことで、そういう土地に住むと、住むひとは健康で幸せになるという。ケガレチというのは、イヤシロチとは逆で、住むひとが不健康になり不幸になる土地のことをいうらしい。

こう説明すると、ちょっとオカルト的に聞こえるかもしれないが、土地にイヤシロチとケガレチがあることを最初に気づいたのは、天才工学者とよばれた 楢崎皐月 だっだ。

楢崎は、古代人が土地の良し悪しを理解していたことを、実地調査と古文書を読み解くことで発見した。

イヤシロチとケガレチにわたしなりの解釈を加えると、それらはおそらく、土地の個性のようなものではないかと思っている。

陶器につやをだすために塗られる釉薬(ゆうやく・うわぐすり)には草木を燃やした灰が使われるが、土に含まれる鉄分のちがいから、植物を採取する場所によって、おなじ植物の灰だとしても、不思議と釉薬の色もちがってくるという。イヤシロチとケガレチのちがいも、きっと、こうした土地の個性のようなものなのだろう。

自分がいる場所がイヤシロチかケガレチかは、あまり厳密に考えなくても、住環境や、まちの環境が快適かどうかを感じ取るだけでも十分に判断できる。

これは仮説だけど、むかしにくらべるといまは、日本中のかなり多くの地域がケガレチ化してしまったのではないかと思う。

ヒートアイランド、酷暑、熱中症という問題なども、緑が失われ、まち全体がケガレチ化してしまった結果ではないかと。

諸外国に目を向けると、すくなくともいまの日本よりは、建物をたてる場所や外環境に気を配っているようにみえる。

たとえば、あるイギリス人は、良い土地があっても、通りの風景やまちの環境が気にいらないと、どんなにその土地が気にいっても、買うことはないという。つまりこれは、そのイギリス人が、自分がこれから住む家と周辺の環境をひとつのセットとして考えているということ。

イギリスでは ナショナルトラスト が村全体を買い取って環境保全に努めたり、外観を規制や条例で統一して景観を守る取り組みにも熱心だ。それはヨーロッパ全体にもいえること。

逆に、いまの日本の住居は外環境を無視しすぎているから、個別にはまだ良くても、まち全体ではひどい状態になる。それはとてもモッタイナイことだと思う。

相続税とかの問題で、地主が屋敷林ごと土地を手放す、ディベロッパーは樹齢数百年という木を伐り、土地をできるだけ細かく区分けして建物をつくり、販売する。結果、緑が失われ、まちの快適な環境が失われていくという悪循環もある。

住宅メーカーも消費者が関心がある耐震や耐火性能を上げることには熱心だけど、住むひとの健康やまちの環境を育てるという視点はもっていない。

いまとちがって、むかしの日本の住宅は、大きく環境に左右されただろうから、家を建てる場所や周辺の環境のことを無視できなかったと思う。

むかしよりももっとむかし、古代の人たちは、現代人が知らないさまざまな「事実」を知っていたのだろう。たぶん、きっと。