ズージャーのリズムで

ジャズのイメージ

人生は気楽にいきたい。ふかく思いなやんだり、なにかについて熱っぽくかたったりすることなく。恋だとか愛だとか、どこまで生きるかだとか、世の中がどうしただとか、そんなことはどうでもいいことだ。ただ、陽気な音楽につつまれて、イキな冗談をとばして、口笛なんかを吹きながら身軽に生きていきたい。そんな気分にちょうどいいのが、ジャズ。ぞくにいうズージャーだ。ズージャーは身構えないところがいい。演奏するほうも聴くほうも、あまり真剣でなくていい。流行歌は、若者独特の、どこか思いつめたような哀愁が漂っていて、大人にはすこし疲れる。じぶんも、ようやくそんなことをいえる年齢にちかづいてきた。子どものころさほどいいと思わなかったものが、いいと思えてくる。それが歳を重ねるということなのか。できることなら、ズージャーのリズムにのって、すぃーすぃーと人生をすべるように生きていきたいと思うようになった。だけど、ロックやポップスにたいする未練も、まだ完全に消えたわけではない。じぶんの年齢は、そういうビミョーな年齢なのだ。思春期にも似た、複雑なオトシゴロである。ロックやポップスのなかにある、純情のようなものが、まだじぶんのなかに響いてきて、心揺さぶられることもあるからこまる。まだ大人になるのは早いということなのかもしれない。でもやっぱり歌は、聴くのも歌うのも陽気なほうがいい。だからじぶんの人生に寄りそう音楽としては、やっぱりズージャーがいちばんあっているような気がしている。最近、日本にもズージャーらしき音楽がたくさんあることを知った。三味線一本でうたわれる民謡や大正演歌などは、ズージャー的要素をつよく感じとることができる。それとズージャーといえば、やはり、あの曲。植木等さんのスーダラ節だ。スーダラ節はまさにズージャーのスタンダードといっていい曲だ。エンターテイメントでありながら、人生哲学をうたっている。「ごーくろーさーん!」と。やっぱりコレだな。