ストーリーを消費する時代

パンと女性

「平成最後の年」を迎えるということで、2018年の年末ぐらいからあらゆるメディアがこぞって平成という時代の総括をはじめた。

平成はどんな時代だったのか、メディアの総括をみていると、いろいろな発見があったり、面白いことに気づいたりする。

わたし個人としても、次の時代への変化には敏感になっておきたいので、ここ最近の気づきを一度まとめておくことにしたい。

中心のない世界へ

平成を振りかえると、もっとも大きな変化はインターネットの出現であることは多くの人の共通の見解だろう。

ネットは、中央から情報を発信する世界を、どこからでも流行をおこすことができる「中心のない世界」へと変えた。

それまでは世間の注目をあつめることがすくなかったサブカルチャーとよばれるアングラな世界も注目されるようになり、多種多様な趣味やライフスタイルの価値観がひろがった。

その流れとは逆に、ネットの出現以前に流行の象徴として台頭していた存在は、徐々に影をひそめていった。

音楽シーンの変化をみると、その変化がとくにわかりやすい。

90年代までは、だれもが知るヒット曲というものが世に存在した。ヒット曲を知らなければ学校での話題についていくことはむずかしかった。

しかし今はどうだろう?ヒット曲は変わらずあるが、べつに知らなくてもとくに困らないのではないだろうか。

今はヒット曲といっても、だれかから話をきいて、そういえば、そんな曲がヒットしていたね、というくらいのものだ。

いっぽう、ユーチューブでカバーソングなどを披露しているアマチュアミュージシャンが多くのファンを獲得したり、ユーチューブをきっかけにメジャーデビューするケースなどもみられるようになった。

大手のレコード会社に所属しなくても多くのファンを獲得できる仕組みはアマチュアミュージシャンにとっては大きな希望となった。

ネットによって個人がチャンスをつかみやすくなったのは、あらゆる業種、業界に共通していえることだ。

ネットは、個人によってもたらされた変化を一瞬にしてひろげ、社会に大きなインパクトをあたえることも可能にした。そのため、ネットの普及とともに、ネットを利用するマナーやモラルもよりいっそうもとめられるようになった。

不完全なものに愛着をもつデジタルネイティブ世代

アナログ回帰

平成という時代はアナログからデジタルへの移行期間でもあった。

音楽業界では、2000年ごろを境に音楽制作の機材が一新され、わたしたちがふだん耳にする音楽はデジタル化されていった。アナログ愛好家のミュージシャンも、それまで使っていた機材を使うことができなくなり苦慮した。

デジタルの音はクリアでエッジが効いているが、きれいすぎて余白がないので疲れるというひともいる。

カセットテープの音はクリアではないが、音のふくらみやあたたかみがあり、聴くものを疲れさせない。

ついでに触れると、レコードの音はきれいだが、パチパチというノイズがはいるので、音としては完全とはいえない。しかしそのノイズがいいとするひとも多い。

デジタルとアナログ、どちらがよいかは、音楽の種類や好みにもよる。しかし、アナログ回帰のブームは音楽の世界だけで起きているわけではない。

デジタル世代の若者、デジタルネイティブたちのなかに「写ルンです」というアナログのインスタントカメラを好んで使うものがあらわれた。

アナログカメラでしかとらえることができない光や、偶然の産物を楽しんでいるようだ。

また、文房具がいま再び見直されるようになり、特集する雑誌がでてきたり、文房具カフェが流行の拠点となってりしている。

わたし個人としては、古民家の価値が見直されようとしていることを、あえて取りあげたい。

古民家は現代の家のつくりとはまったくちがうので、消費経済のなかでは生き残ることがむずかしい代物だ。

しかし、わたしのように、古い家をよいとする価値観は若いひとたちのあいだで確実にひろがっている。

家に関しては、古いものを古いままではなく、現代の生活様式にあわせて、より便利にリノベーションするのが今流のやり方だ。

古民家でなくても、リノベーションに足場材などのアンティークな素材をえらぶひとは多いのではないだろうか。

「不完全なもの」といえば、わたしたちが日常のなかで触れる情報もそうなりつつあると思う。大手のメディアよりも個人のブログやSNSから発信される情報に価値を見出す若者も増えていきている。それらは個人という出所を考えると、けして「完全」とはいえない。

コミュニティ回帰

歴史を顧みれば、わたしたちはコミュニティを捨て、その代わり自由を手にいれてきたのだと思う。

古い時代、コミュニティという共同体は、さまざまな恩恵と安心をもたらしてくれる反面、「面倒なもの」「個人を束縛するもの」であったにちがいない。

しかし、いまのひとたち、とくに若い世代のひとたちの行動をみていると、コミュニティに所属して他者とつながりたいという欲求をもっていいるひとたちが多いことに気づく。

SNSなどのオンラインのコミュニティもそうだが、リアル空間でコミュニティをつくろうとする動きもみられる。

リアルなコミュニティといえば、地方へ移住するひとたちのなかにはコミュニティに所属したいという思いがあるひとたちが一定数いると思う。

いっぽう地方に住んでいるひとたちもまた、地域に住んでいるひとたちどうしでつながり、自分たちの住む地域をより良くしようと、コミュニティ形成の方法を模索しはじめている。

しかし今、わたしのまわりを見渡しても、コミュニティというものは、どこにも存在しない。コミュニティは幻想だろうか?

いや、そうではないはずだ。一度切り裂かれたコミュニティを復活させようとする情熱にあふれたひとたちが増えていけば、かつてのものとはちがうとしても、あらたなコミュニティが確実に形成され、増殖していくだろう。

そして、やがてはわたしも、コミュニティをつくる側にまわるかもしれない。

ストーリーを消費する時代

時代が平成からつぎの時代へと移ろうとしている今、わたしがもっとも感じている時代の変化は、「ストーリー」というキーワードに集約されていると思う。

これは、わたしたちの消費活動における変化のことで、つまり、わたしたちがモノを買うときに、商品だけでなく、その背景にある製造過程や生産者の物語に思いを馳せるようになってきたということだ。

たとえば、サードウェーブコーヒーにおける<フェアトレード>の位置づけなどが良い例ではないだろうか。

ただおいしいコーヒーが飲みたいだけなら、自分が飲んでいるコーヒーの豆がどんなプロセスを経てここまでたどりついたのか、なんてどうでもいいことだ。

しかし、ストーリーや理念を重視する消費行動の場合、けしてそうはならない。

やはり、使われるコーヒー豆は、生産者から不当な搾取をおこなっていないことが証明されたフェアトレードの豆でなければならない。

年末に「『パンが好き』とみんなが言い始めた 平成のパンブームの正体」というタイトルのネット記事をよんだが、その記事にはパンブームの背景には個人店が注目される「巨匠の時代」になったことがあると書いていた。

そもそもパンがおいしいということはもちろんだが、自分のからだにはいるパンを「どんなひと」がつくっているのかが、より重要になったということだ。

別の表現をすれば、大量生産された商品ではなく、「健康」や「地産地消」といった文脈に沿ったストーリーを消費者がもとめはじめたともいえる。

個人でビジネスをするうえでも、ストーリーは重要な意味をもつようになった。

どんな生き方をして、その生き方をどんなふうに発信していくかで、ライバルとの差別化ができ、特色をだすこともできる。

ただ消費者もだんだんと目が肥えてきているので、形式だけの薄っぺらいストーリーでは、やがて消費者にかんたんに見抜かれる時代がくると思う。

「あなた」から商品を買う理由はなんだろう、そこを突きつきつめて考えることがビジネスを伸ばすカギになりそうだ。

ところで、カフェなどの個人店舗を経営するひとたちのなかには、人々をひきつける魅力的な発信をしているひとたちがいる。

コミュニティ再生、若者の労働問題、住環境の問題・・・こういった問題にたいしてどんなストーリーを紡ぎだしていくことができるかが、いま注目されているような気がする。