いつとなく、なんとなく

いつのまにか咲いた桜の花

いつのまにか咲いた桜の花

一昨日、わたしの名づけ親が息を引き取った。昭和8年生まれ、享年85歳。

以前からあちこち患っていることを人づてに聞いていたし、最近になって肝臓から肺にガンが転移したことも知っていた。「もういつ逝ってもおかしくねいね」といわれていたから、知らせを聞いたからといって特段おどろくようなこともなかった。大往生だったといっていいだろう。

声が大きくてべらんめえの昭和ひと桁。肌は浅黒く、短い白髪が若いころからトレードマーク。見た目は酒にめっぽう強そうなのに、一口飲むと倒れるように仰向けに寝てしまい、そのまま畳の上でグーグーといびきをかいた。酒宴がおわって起こされるまで寝つづけるのが叔父のおきまりのスタイルだった。

叔父は道端に捨てられている猫をみるとほうってはおけず、何匹も拾ってきては可愛がった。人を押しのけて出世していく組織のシステムに馴染めず、若いころから車に乗って行商をはじめた。訪問販売で生計を立てることができたそのころの日本は、まだ景色も人も皆ゆっくりしていて良い時代だったのだろう。

去年のお盆に、先祖の墓参りに行く道すがら、叔父夫婦が住む家に立ち寄った。叔父の終の棲家をおとずれたのは、それが初めてのことだった。ああいうのを虫の知らせというのだろうか、と今になって思う。色黒で元気ハツラツとしたかつての叔父の姿はなく、色が白くなってヒョロリと痩せていたが、肌艶は良かった。元気はなかったけど具合が悪そうでもなかった。人懐っこい笑顔はむかしのままだった。ずいぶんひさしぶりに会ったのに、わたしを見ておどろく様子もなく、黙ってテレビをみながら時折、合いの手のように一言二言しゃべっては微笑んでいた。

 「隠れてタバコなんか吸うもんだから、あたしがぶっとばしてやるのよ」

いつもは叔父と瓜二つの人懐っこい顔で笑っている叔母がめずらしく怒った様子でそう言った。すごいことを言うなあと思ったが、その言葉からは夫を愛する妻の愛情のようなものを感じた。

叔父は最後に会った日、ほとんどしゃべらなかった。つぎの日に娘たちが箱根に旅行に連れて行ってくれることを叔母がはなしてくれた。そんな妻と娘家族たちにあたたかく見送られながら旅だった叔父の顔は幸せそうにみえた。叔父が亡くなった日の午後、昼間ぼんやりと外を眺めていたら、こんな句が浮かんできた。

 いつとなく桜が咲いて逢うては別れる

もうすっかり作者は忘れていたのに、句だけはおぼえていて脳裏をかすめた。山頭火の句だ。叔父は桜を夢に見ながら旅立ったのだろうか。庭にはまだ梅も咲いていないというのに。

子どものころは将棋でよく遊んでくれたなあ。山形に出張に行った帰りにはお土産に将棋盤と駒を買ってきてくれたなあ。もっと小さいころは車のおもちゃに将棋の駒の貯金箱・・・子どものころに買ってもらったものは大人になっても忘れないなあ。叔父が亡くなった今、思い出すのはこんなことばかりである。

叔父はわたしの名づけ親でもあった。しかしなぜ両親が叔父を名づけ親にえらんだのかはずっと疑問だった。わたしの名前の由来を幾度か両親にたずねたことがあった。たしか、「なんとなく」と言っていたような気がする。生まれてから死ぬまでついてまわる名前をたいした理由もなく決められたと聞かされたときは、さすがにがっかりした。

しかし叔父が亡くなった今、あらためて自分の名前がどのようにつけられたかを思い出してみると、なんとなく、という理由もそんなに悪いものではないというような気がしてきた。わたしのようにひょうひょうと生きているようなものにとっては、たいそうな名前の由来よりも、なんとなくというくらいがちょうどいい。しかし叔父はどんな気持ちでわたしに名前をあたえたのだろうか。

叔父が生きているあいだはテレくさくて聞くこともなかったが、やはり聞いておけばよかったとすこし後悔している。