ヘタウマとウマヘタ

何人かの方にクラシゴトについて感想をうかがったら、なかには高尚な感じがするとおっしゃってくださる方がいて、意外な感想にすこしおどろいた。

思いつきばかり、ずいぶん軽薄なことを書いてしまったと後悔することはあっても、高尚なことを書いたと思ったことは一度もはなかった。

むかし学生のころ、友人が家に遊びに来たときに、開口一番「ずいぶんお堅い部屋だな」と言ったのをおぼえている。

高尚は裏を返せば「お堅い」ということになるので、表現としてはどうなのかなと考えてしまった。

これもまた学生のころの話になるけど、塾のアルバイト講師をやっていて、月末に保護者に郵送する月報を書かなきゃいけなかったのだけれど、そのころは月報を書くのもひと苦労だった。

あるとき、先輩講師に書いた原稿をチェックしてもらったら、「こんな文章、おれには書けないけど、なんか違うんだよね」と言った。

チェックしてもらった原稿は、たしか形容詞ばかり並べた、ほとんど内容のない文章だったと思う。無理矢理やらされている仕事だったし、特段書くこともなかったので、適当な言葉を並べてごまかそうとした。そのことを見抜かれたのだった。

その先輩講師は軽薄な感じがして、あまり好きなタイプではなかったが、言っていることは間違いではないと思った。

それらしく見えるけど伝わらない、ということは世の中にはたくさんある。

テレビでは素人やセミプロが歌のうまさを競う番組が放送されていて、出てくる人は一様に歌がうまい。だが歌で感動させる人はあまりいない。

逆に、歌はいまひとつでも、このひとの歌は聴きたいということもある。むかしヒットソングを連発していた歌手が、全盛期のような声がでなくなり、音程がわるくなってもなお大衆を魅了しているも、このパターンだ。

ところで、上手いけど下手にみえるのを「ウマヘタ」というのだそうだ。

「ヘタウマ」というのはよく聞くけど、ウマヘタというのも、言われてみればたしかにある。でもヘタウマはいいけど、ウマヘタはよろしくない。

高尚なことばかり言ったり書いたりして、まったく内容がつたわらないのも困りものだ。

世の中に高尚なものばかりあふれていたら、きっとみんな疲れてしまうにちがいない。上品に見えるひとだって、一流のフレンチや高級料亭の料理ばかりを食べたいとは思わないだろう。

ときには、こじんまりした店でチャーハンや焼き鳥、家に帰ったらインスタントの焼きそばなんかを食べたくなるにきまっている。

このクラシゴトというメディア、最初はブログをはじめるような気軽さではじめたのだけれど、コンセプトとかいろいろ固まってきて、器もきれいにしたら、書くハードルが急に高くなってしまった。

でも、それではネットに文章を投稿する意味もあまりなくなる。

自分の視点で、そのときどきに思ったことを、ときにはジャンクフードのテイストを交えながら、気軽に発信できるメディアにしていきたいと思う。

そう、目指すところはウマヘタではなく「ヘタウマ」なのである。