不真面目のススメ

朝の風景

 

不真面目は真面目の反対ですから、いい印象をもっている人は少ないでしょうけれど、見方によっては、不真面目にもいいところがあるとおもうのです。

 

実のところ、ぼくも、不真面目は人がいうほど悪いことだとはおもっていません。むしろ社会との向き合い方や人間関係においては、時として、とるべき必要な態度であるとさえおもっています。

 

べつに不真面目を積極的に推奨するわけではありませんが、冷静に考えても、ほんとうにそうおもうのです。

 

不真面目のススメ

今はどちらかというと真面目な人のほうが世の中の主流ですから、ぼくのように、だいぶ不真面目な人間は、どこか居心地のわるさを感じてしまいます。

 

ですがぼくは、適度に不真面目であることは、生きていくうえで必要な要素であり、場面によっては、むしろ望まれるべき資質といえるのではないかと、あるときからおもうようになりました。

 

学校でも会社でもそうだとおもいますが、現実社会を生きていくのはなかなか大変です。真面目に向き合うほど、逃げ場がなくなり、疲弊していきます。

 

生きていくことの難しさや、厳しさを敏感に感じてしまう人ほど、生きていくことはツラいことでしかなくなってしまいます。

 

ですが、生きていくことが難しく感じられるほど深刻な状況に対しても、不真面目な態度で臨めば、心理的負担は少なくなくてすみます。

 

こういう主張に対して、辛い状況と向き合ってこそ精神は鍛えられるんだ、と反論する人もいるでしょうけど、世の中、みんながみんな、辛い状況と向き合えるだけの強い心をもっているわけではありません。

 

だから、どうしても辛くて学校や会社に行けない人は、無理して行かずに、適当にサボッて、また行けそうになったらいけばいいんです。もしそれが無理なら、ほかの学校に転校したり、転職したりする方法だってあります。

 

世の中が複雑になればなるほど、生きていくことは難しくなります。ですから、処世術のひとつとして、不真面目な態度をおぼえて、それを人生の場面場面で発揮することができれば、だいぶ生きやすくなるとおもうのです。

 

不真面目の美徳

物事や状況をどのように受けとめるかは自分しだいです。難しいとおもえば難しいですし、易しいとおもえば易しいです。哲学者ニーチェも、「事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである」といっています。

 

ですから、考えようによっては、深刻なことを楽観的に受けとめることだって、できなくもないのです。不真面目な人間はとかく、「まぁ、なんとかなるだろう」と、どこか楽観的な考えをもっていることが多いものです。

 

一見、人生をナメている、あるいは世の中の厳しさを本当の意味で理解していないように見えるかもしれませんが、真面目な人間よりも不真面目な人間のほうが危機に強いというのは、たしかな真実だろうとおもいます。

 

ところで、ぼくがいちばん最初に不真面目の美徳にふれたのは、子どもの頃にみたアニメだったような気がします。アニメもそうですが、かつて物語には人間の美徳とは何かを教える役割もありました。

 

ぼくが昔みたアニメの原作で、今でもとても人気がある『美味しんぼ』という漫画があります。この漫画の主人公である山岡士郎は、東西新聞社の歴史上いまだかつてないほどの、とんでもないグータラ社員です。

 

会社では居眠り、取材に行ったかとおもえば競馬やパチンコにうつつを抜かしているといった始末。

 

かといって、まったく仕事ができないかといえば、そういうわけではなく、東西新聞社の社運をかけた「究極のメニューづくり」では比類なき才能を発揮し、経済界の重鎮たちからも一目おかれる存在です。

 

志ん生さんに学ぶ処世術

お笑いタレントなどの芸人とよばれる人のなかには、自分がどれだけ不真面目かをネタにして自慢する人たちもいます。その話が面白ければ、お茶の間の笑いをさそうので、不真面目もバカにできません。

 

一般人にはなかなかマネできませんが、自分の不真面目さを笑いに変えられるぐらいのたくましさがあれば、どこに行っても生きていくことには困らないでしょう。

 

ぼくは落語が好きなのですが、落語家で不真面目の代表といえば、ぼくが知っているなかでは、古今亭志ん生さんが唯一無二の存在です。

 

この人は紫綬褒章までもらった人なのですが、噺の途中にお客さんのまえで寝てしまったことが、落語ファンのあいだでは伝説となっています。この人は芸風がとても”いい加減”なことでも有名でした。

 

落語家は噺の途中で言葉が出てこなくなったらおしまいです。真面目な落語家は、ごめんなさい、とお客さんに頭を下げてその場を去ります。でも、志ん生さんは、そうはせずに、寝てしまった。

 

お客さんはそれが面白くて、だれひとり志ん生さんを起こそうとしなかったそうです。志ん生さんはお酒が好きだったので、そのせいで寝てしまったんだろうという解釈もありますが、ほんとうにそれだけでしょうか。

 

どちらにしても、志ん生さんの不真面目な芸風が功を奏し、危機を乗り切ったことに変わりはありません。

 

不真面目なほうが自分を笑える

不真面目な人間が危機に強いのは、物事をあまり深刻にとらえないからだろうとおもいます。不真面目な人間は、たとえ一度転んでも、自分で自分を笑える強さがあります。

 

もともと不真面目ではない人でも、訓練さえすれば、自分を笑うことができるようになります。ぼくはそのことを落語から教わりました。

 

20代前半のとき、深夜のラジオから流れてくる名人たちの落語を聞いて、その世界にどんどん引き込まれていきました。落語のなかには不真面目な人間や、けしからん人間がたくさん登場します。

 

そんなキャラクターたちが繰り広げる笑い話を聞いていると、なんだかとても安心することができました。

 

どんな人にも欠点はあります。でも、それを真面目に受けとめるか、笑いとばすかで、深刻さは変わってきます。

 

だから、現代のように、過去の常識が通用しない、先々の答えが見えにくい時代においては、ある部分で、不真面目さも必要だとおもうのです。

 

不真面目を治したいと考えているあなたへ

不真面目を治したいと考えているあなたは、もう不真面目ではありません。だって真面目になりたいと、マジメに悩んでいるわけですから。

 

ぼくだって自他ともに認める不真面目人間ですが、仕事や人生のことは、わりとマジメに考えてしまうわけで、そういうところは、情けないかな、むしろ人よりも勤勉ではないかとおもうのです。

 

それに、真面目になってもいいことばかりじゃないので、たとえあなたが不真面目だとしても、あまり気にする必要はないのではないでしょうか。

 

考えてみてください。右を向いても左を向いても真面目な家族、真面目な友人、真面目な同僚だらけだったら・・・。息がつまりそうじゃないですか。

 

不真面目は、「適当」や「いい加減」とおなじ意味ですが、「適当」も「いい加減」も「ちょうどいい」という意味合いをもっている言葉です。

 

たとえば、人間関係において不真面目であるということは、深入りせず、近づきすぎず、「ちょうどいい距離」を保っているともいえます。

 

世の中は混とんとしていますし、人生は複雑です。だから真面目に考える人ほど、この世界では生きづらくなってしまいます。

 

そうならないためにも、ちょうどいい不真面目さを身につけることも必要ではないでしょうか。