暮らしの道具を手づくりしてみる

何年か前、緑が多い自宅ちかくの公園を散歩していたら、夫婦らしき男女が芝生のうえにすわってスプーンを削っているのをみたことがあります。

わたしはそこをとおりすぎるとき、なんとなく知的で文化的な香りを感じとったのでした。

そしてなぜか、そのひとたちが削っていたスプーンはおそらく、売り物じゃなくて自分たちで使うのだろうなという気がしました。

暮らしに必要な道具をじぶんの手でつくるというのは、太古のむかしからおこなわれてきた行為であり、生きる原点ともいえる行為です。

日本の農村では、農閑期に農具や暮らしに必要な道具などをつくることが多かっただろうと思います。

道具をつくることは、仕事にはちがいなかったと思いますが、同時に趣味的で遊びの要素もあったかもしれません。

民藝運動の中心人物だった柳 宗悦は、庶民の暮らしのなかで使われていた道具に美を見いだした人です。

わたしが学生のころに哲学を習った先生は、農民の手によって作られた陶器には自然がみえるということを仰っていたような気がします。

これまでにいくどか、わたしは暮らしの道具を自分の手でつくってみようかと思いましたが、実行することはありませんでした。

つくること自体をむずかしく考えていたのと、お金にならないことをしても意味がないという気持ちがあったからだろうと思います。

しかしいまはすこし考えが変っていて、暮らしの道具を手づくりすることで、暮らしのありかたを見つめ直したり、生きるということについて深くかんがえたりすることができるのではないかという気がするのです。

暮らしに根差した感覚、大地に根差した感覚というものを、現代人はすっかりわすれてしまっています。

だから、大事な感覚をとりもどすために、暮らしの道具をなにかひとつでもつくってみるのはいいことではないでしょうか。

先日、御徒町でおこなわれた「モノマチ」というイベントに足をはこび、箸づくりを体験してきました。

厳密には箸づくりの工程を、といったほうが正確なのですが。

わたしの友人がつとめるHacoaという会社がワークショップを開いていて、そこでちょっとだけ箸づくりを教えてもらいました。

ワークショップには親子づれのすがたもあり、おとうさんへのプレゼントにするために靴ベラをつくっていた子どもなんかもいました。

(この日は父の日が近かったのです)

なにかをはじめるときは、こういうきっかけのような出来事がけっこう大事なような気がします。

これからは、いつか公園でみかけた男女のように、暮らしに必要なモノをできるだけじぶんの手でつくってみようと思っています。

どうせやるなら、そういうことに共感してくれる人をあつめてイベントにしてしまってもいいですね。

ちいさな子どもを参加させるなら、紙やすりだけで作業できように工夫してあげれば大丈夫です。

緑が多くて空気がきれいな場所に人があつまり、暮らしの道具をつくる、そんなイベントをクラシゴトでもやってみたいですね。

わたしよりも行動力がある人は、たくさんいるでしょうから、そういうイベントがいいなと思ったら、ぜひどんどんやってみてください。