独創的とはどういうことか

モナリザ

独創的な人とは…
独創的な企画とは…
独創的なアイデアとは…
芸術における「独創的」とビジネスにおける「独創的」はおなじなのか…

今回は、そんなことについて考えてみたいと思います。

独創的ってどういう意味?

独創的の「独創」というのは、他人のマネをせずに自分の力だけで想像することを意味するようです。

模倣によらないで、独自の発想でつくりだすこと。

goo辞書

とすると、独創的な人というのはも他人のマネをしない人ということになりますし、独創的なアイデアというのは自分のチカラだけで考えだされたアイデアということになります。

そこで、疑問がわいてくるわけです。

世の中に「独創的」な物事がどれだけあるのだろうかと。

独創的な人物というのは、レオナルド・ダ・ヴィンチやアインシュタインのような超天才のことだけを指すのでしょうか。

とすれば、わたしのような、とりわけ才能のない凡人は独創的でクリエイティブな仕事はできないのだろうか、とあたまを抱えてしまいます。

今回のテーマの結論から先に言ってしまいますと、わたしは独創という概念はかなり疑ってみる余地があるのではないかと思っています。

「模倣と独創のちがい」はどこにある?

アイザック・ニュートンは「巨人の肩の上に立つ」という有名なことばを残しています。

これはつまり、自分の偉業は先人の仕事を継承したものだということを言っているわけです。

いっぽう絵画の巨匠ピカソは「優れた芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む」とまで言っていますね。

このふたりのことばは、捉え方によれば、独創的なアイデアと模倣は紙一重といっているようにも聞こえます。

ビジネスの世界を目を向けても、模倣を肯定的にとらえる意見が多いような気がします。

独創的ということばについて調べていたら、日経ビジネスのこんな記事をみつけました。

髙田明「すべての独創は模倣から始まる」

日経ビジネス

髙田明氏はジャパネットたかたの創業者としてお茶の間でもおなじもの人物。この記事では、先人から学ぶことが仕事のやり方においても重要であることを指摘しています。

ビジネスは限られたリソースで売上をあげる必要があるため、結果がでている方法を積極的に模倣するというのは、至極当然ということもできそうです。

たとえば、営業に配属された新入社員が売上をあげるためにはどうすればいいかと考えたときに、おそらく、いちばん成績がいい先輩営業マンの「完コピ」をするという結論になるでしょう。

多くの企業では、新入社員は先輩の成績を追い抜いたときにはじめて、オリジナルの方法を考えることが許されるのかもしれません。

ビジネスの話ばかりで恐縮なのですが、こうしたプロセスを「守破離」とあらわしたりもします。

守破離というのは、習いたてのころは師匠の教えを忠実に「守り」、やがてそれを「破り」、教えから「離れていく」という考え方です。

個人の創造性が入るすきまもないような考え方ですが、ビジネスの世界でこうした考え方が尊ばれるのは理解できます。

「巨人の肩の上に立つ」考え方を否定された学生時代の経験

学生時代、企画を考える授業がありました。

その授業を担当していた先生は、「自分のエゴ」から企画を考えるという発想法を大事にされている方でした。

しかし、生真面目な学生だったわたしは、企画に関係がある文献の調査から企画のアイデアを発想しようとして、そのことを先生につたえました。

そこで、授業の趣旨とはちがうということで、「巨人の肩」を借りようとしたわたしの考え方は完全に否定されてしまったわけです。

先人の知恵を借りるのと自分のエゴからスタートするのでは、発想のスタート位置がまるでちがいます。

経験値がすくない学生が自分のエゴから企画を考えるというのは、思った以上に難題でした。

しかし、このときの先生の教えが重要な気づきをあたえてくれたのもたしかで、いま振り返ってもほんとうにいい経験をしたと思っています。

独創的なアイデアはどのように生まれる?

さて、今回のテーマである「独創的というはどういうことか」に話をもどします。

わたしはこのことについては、ある程度明確な考え方をもっています。

それは、独創とはパターンの組み合わせであるということ。

つまり、多くの事例を知っていることは、けしてアイデアのじゃまにならないと思うわけです。

芸術家も他人の作品を模倣して描くことはありますし、他人の作品に影響された作品をオマージュといったりもします。

そうした模倣は芸術家の血となり肉となり、独創的な作品に昇華していくのではないでしょうか。

まったくパターンを知らない人は、パターンを組み合わせてオリジナル作品をつくるという技ができません。

だから、パターンを多く知っていることは、独創のために、すくなくともむだにはならないと思うです。

独創性は自然にでるもの

わたしは独創性というものは、いくらパターンを完全に模倣しようとしても、自然にでてしまうものでもあると思っています。

芸術の世界は盗作に厳しい世界ですので、独創性をいくら主張してみても、誰々の作品に似ているといわれがちです。

新人歌手の場合は、有名歌手に声が似ているというだけで、オリジナリティが低い二番煎じという言われ方がされたりもします。

しかし、新人歌手がいったん売れ出すと、こんどはその新人だった歌手がひとつのパターンとなり、オリジナルになっていきます。

だから、駆け出しのころは、わざわざ最初から独創的であろうとして、他人のマネにならないように頑張る必要はないかと思うのです。

むしろ、独創的であろうとすればするほど目標が遠ざかっていくことだってあるのではないかと。

料理をしたことがない人の創作料理をだれも食べたいとは思いませんよね。

独創的なアイデアの土台となる知識を蓄えることが、独自のアイデアを積み重ねるより近道になる場合もあると思います。

おわりに

きょうは独創的であるということはどういうことかについて考えてみました。

学生時代、わたしは組織経済学と哲学に興味があり、どちらにも傾倒しました。

組織経済学は人を管理することが目的の学問で、哲学は思想の世界を自由にいったりきたりする学問なので、両者は対照的です。

いっぽうは独創性が許されない世界であり、もういっぽうは独創性が価値になる世界です。

そんなわけで、わたしは独創的とはどういうことかについて、いまだにはっきりとしたこたえを見いだせていません。

最後はそんな無難な結論にして、今日のテーマをおわりにしたいと思います。

駄文を最後までお読みくださり、ありがとうございました。